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イロハ娘の雑記

自称中道右派なイロハが思うことを書き散らしています。

戦犯には死後の安寧を祈られる権利すらないのか?

意見

こんにちは、イロハです。

 

今回は常日頃から思っている「靖国神社への参拝」について書こうと思います。

 

私は数年前靖国神社に行ったことがあります。遊就館が目当てではありましたが、お賽銭をあげて靖国神社に合祀されている全ての魂に対して「御霊安かれ」と祈りを捧げました。

靖国神社問題を取り上げる人は「戦争神社」「侵略神社」だとか言って靖国神社を攻撃しますが、私からすればそれこそが自身の信じる事柄に対する「侵略」であると思います。

確かに成立からして「戦争」抜きで語る事が出来ない場所ではあります。しかし、それと今あの場所にいる英霊の御霊の平穏を祈ることに何の関係があるのでしょうか?

人は、死ねば皆同じです。夢のないことを言ってしまえばタンパク質の塊です。魂なんて存在しないのかもしれません。だとしても私は、「国のために戦い命を落とした方々の魂がせめて死後は安らかであれ」という祈りを捧げたいです。自己満足だと言われようと、この国を今現在まで存続させているという事実に対して感謝の念を送りたいと思いますし、彼らが命を落とした事に対しての悲しみもあります。

少なくとも私が祈りを捧げた時、そこには戦争を美化だとか、軍国主義への回帰だとかそういう意図は全くありませんでした。ただ純粋に御霊安かれ、という哀悼の祈りがあっただけです。

 

勝手に合祀されてしまうのは確かに問題ではありますが、あそこにあるのは魂だけです。何も骨や位牌があるわけではない。

それを分祀しろ、というのは神道という特定の宗教に対する攻撃と変わりません。

例えるならば、敬虔なイスラム教徒に豚を無理矢理食べさせたり、熱心なキリスト教徒の前で聖書を燃やすようなものです。神道という日本ローカルな宗教相手であったら何をしても良いのでしょうか?

某所で見た靖国神社のドキュメンタリーでは、先の大戦で大陸で戦い遺品も何もなく、靖国神社に合祀されている父の名が名簿から消されるまでは墓石に名前を刻むことはしない、と言っていた女性がいましたがはっきり言って、何を言っているんだ? という気持ちでいっぱいです。

何もないからこそ魂だけは返して欲しいというのは分からないでもありませんが、果たして名簿から名を消した程度で魂が本当に戻ってくると言えるのでしょうか。その戦死した父の魂は、本当は既に遺族の周りにあるのではないのでしょうか。

「過去の戦争を美化する場所で祀られたくない」という人もいますが、果たして今の靖国神社のどこが戦争を美化し賛美しているというのでしょう?

私にはよく分かりません。

 

たとえば靖国神社を解体したとしてそのあとあの場所に何が残るのでしょうか。靖国神社を解体してしまえば、遊就館も失われるでしょう。遊就館が失われては、我々日本国民は戦前に特攻などで亡くなった兵士たちの心を知ることすらできなくなります。

靖国神社を解体して、それで「日本の罪」は贖われるのでしょうか? 過去の罪の贖いのために後世に残すべき大切なものすら失ってしまうのはおかしいと思います。

 

今回はここまでです。

皆さまごきげんよう。

 

イロハ