イロハ娘の雑記

自称中道右派なイロハが思うことを書き散らしています。

8月、戦争と憲法について考える

 いつのまにかブログを更新しないようになって3ヶ月が経っていました。お久しぶりです。皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

 もう8月ですね。夏になると、書店は大体戦争関連の書籍を置いたり、ニュースも第二次世界大戦について取り上げたりと、言葉は悪いですが『戦争ムード』真っ盛りです。

 先の大戦という悲劇を我々はどう考えるべきなのでしょうか? かつて記事にしたように、私は、戦争という自称そのものには善悪はないと考えておりますから、『戦争=悪』というありふれた、陳腐なメッセージはなるべく発しないで欲しいものです。

 

 

 ここのところ、憲法改正に絡めて、『戦争=悪』,『戦争反対=正義』という主張がゴリ押されているように思えます。

 確かに、戦争は悲惨なものです。人も沢山死にますし、傷つきます。それは事実です。しかしながら、戦争が何故起こるか、という事をきちんと考えている人はどの程度いらっしゃるのでしょうか。

 戦争というのは、外交が失敗した末に起こるものです。話し合いで解決出来るフェイズをとうに超えてしまってから起こるものなのです。ですから、軍備を持たず話し合いに徹すれば戦争は起きない、というのはやや楽観的すぎる意見と言えましょう。

 日本はもう既に、戦争を起こさない為に戦争に備える、というものが必要な段階になってきているのです。

 平和憲法を有する日本は本当に戦後70年間平和だったのでしょうか? 確かに表立った、他国との武力抗争は無かったかもしれません。しかしながらその陰では、拉致、竹島尖閣諸島の問題、珊瑚の密猟など、様々な問題が起きています。9条は拉致から被害者を守る事が出来ませんでしたし、これからも後生大事に守ったからと言って守ってくれるとは思えません。

 多くの人は戦争が嫌いでしょう。誰であれ、人を殺すくらいならば人と共存する策を取るというはずです。しかし、共存するにも後ろ盾がないといけません。

 

 たとえば、私たちが住む町には、警察がいます。警察は何か事件や事故が起きた際は勿論、事件を予防する為に日々の職務に励んでいます。備える、というのはこういう事です。有事が起きてから警察という組織を編成するというのは現実的ではありませんし、そんな事をしている暇にその犯人はどこかへ高飛びしてしまうのが関の山です。

 私たち日本国民が今、直面している『憲法改正』という問題も同じです。

 有事が起きても「遺憾の意」しか表明出来ない国。それが今の日本です。戦後、長い間、日本は貶められてきていました。それは武力が無いからです。いくら国連に多額の拠出をしても、武力が無ければ何の意味を持ちません。それどころか、金だけを出す、と陰口を叩かれるだけです。 ですから、これからは武力を提供し、その分拠出金を減らせば良い、そう思います。そうすれば日本の立場はある程度は改善するのではないでしょうか。 大切なのは、終戦直後と現在では大きく国際情勢をはじめとした状況が大きく様変わりしているという点です。憲法を絶対視するのはやめて、まずは改正を前提とした議論に踏み出すべきなのではないでしょうか。それこそが対案の第一歩です。 この情報社会は、私たち国民が直接政治家、政党へ意見を届ける事を可能にしています。1つの投書は改革の第一歩。諦めずに声を上げ続ける事が必要なのではないでしょうか。

 

 それでは今回はここまでです。皆様、ごきげんよう